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尼崎の被害

  • 執筆者の写真: 古川和子
    古川和子
  • 2019年11月6日
  • 読了時間: 3分

「クボタショック」から14年が経過しました。

私が最初の「クボタの被害者」と認識した故土井雅子さん(当時57歳)と出会ってから15年が過ぎました。私が「クボタが怪しい」というと「まさか、あの大企業が…」と多くの人が言いました。

しかしあの大企業も実は工場内で多くの被害者を出していたのです。

当時は「石綿肺」が多かったのでしょう。

中皮腫は潜伏期間が長い病気なので、クボタ自身も従業員の被害に気づくのが遅かったかもしれません。(これは、最大減限に好意的な意見です)

しかし…工場内で早くに粉塵対策をしていれば周辺にも飛散しなかったのです。

そしてこの部分が、「泉南型和解国賠」に通じることです。

和解対象は、昭和 33 年 5 月 26 日から昭和 46 年 4 月 28 日までの間に、局所排気装置を設置すべき石綿工場内において作業をし、アスベスト疾患を発症した元労働者です。

元労働者が粉塵に曝されて被害を被ったのであれば、その粉塵を外部に飛散させて被害を被った一般住民も対象にするべきでは?

環境省が実施している「石綿による健康被害救済法」ではあまりにもお粗末では?

10月も「クボタ救済金」の手続きが続きました。

クボタ旧神崎工場周辺に居住していた方に対して、一定の条件のもとにクボタが救済金という名目の補償を行っています。

クボタショックから15年を向かえようとしている今も、被害者の数は減りません。

工場内の労働者の労災認定も減ってはいないようです。

被害はどこまで続くのか?

かつての工場内は、どのような状態だったのか?

どの様にして外部にアスベストが漏れたのか?

2005年4月26日、3人の中皮腫患者とクボタの話し合いではクボタから多くの資料が提示されました。石綿水道管の製造工程まで「絵コンテ」のように詳細に示してくれました。

あまりのことに私たちは一瞬言葉をのみました。

でも、今にして思えば「それだけ」でした。

私はクボタ側から一方的に提示された多くの資料に圧倒されたのかもしれません。

しかしまだやるべきことがあるはず。

史上最大の産業災害といわれるアスベスト災害(労働、環境)を出した企業として、最後の責任を全うして欲しい。

近隣住民への救済内容改善とおなじく、なぜ災害が起こってしまったのか検証作業することが重要だと思います。

クボタは社会的責任において、自社の工場内の検証を第三者を交えて行うべきです。

もちろん、アスベストは輸入も製造・使用も禁止になっているから今後はこのような悲劇は起こらないでしょう。

しかし、形を変えて別の物質の産業災害が起こる可能性はあります。

過去の悲惨な歴史は将来の教訓とすべく、クボタは勇気をもって第三者による検証作業を行って欲しい。そのように私が提言すると「当時の社員たちがいないから」とクボタ担当者は言いました。

だからこそ、いま始めるべきです。

それもまた「社会的責任」の取り方だと思います。

数十年の間には、クボタ近隣に住んでいた方が他の自治体に移動しています。

この方たちの健康管理はどうなるのでしょうか?

アスベスト検診(現試行調査)を行っていない自治体にいる方はどうなるのでしょうか?

終息が見えない尼崎の被害です。


 
 
 

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