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​胸膜中皮腫を小脇に抱えて

名 前:夏みかん
居住地:山口県
​年 齢:57歳(気持ちは30歳)
 

さあ10年目  2019 1.9

 

有り難いことに、今年も新年を迎えることができました。

中皮腫と解ってから9年の月日が過ぎました。

当初は1~2年の命だと思い込み、”病人様風”を吹かして我儘放題だったと思います。

家族や友人、私の周りの人達全てを巻き込んで、私中心の生活を送っていました。

それなのに誰一人文句も言わず、皆からとても大切にしてもらえて、

それまでは気づかなかった優しさを発見できたりしました。

9年の月日が過ぎた今でも、私が病気ではなく怠けているとわかっていても

変わらず私を尊重してくれ大切に思ってくれてます。

大袈裟ではなく毎日

「私って幸せ者だな~」と思って夜眠りにつきます。

 

さあ、これからが本番の10年目です。

長い間無治療でいましたが、去年から抗がん剤を再開して

今はアリムタ単剤で14クール目になります。

自覚症状も薬のおかげで痛みもなく、呼吸困難なども感じていません。

こんな病気になると、

ついつい「いつまで生きられるだろう」なんて考えますが

人生の長さを競うつもりはありません。

しかし

家族やお世話になった人達のことを思うと

出来ればもう少し一緒の時間を過ごしたいと思ったりもします。

それが私の出来る恩返しだと意味づけて。

 

10年目に突入です!

私らしく生きる    2018 12.24 

 

すっかりご無沙汰してしまいましたが、私は元気に過ごしています。

気持が塞いでいた時もありました。

何かにがんじがらめに取りつかれて、身動きが取れないような気持でいました。

さも何か出来事がおきて、私に降りかかっていると思っていました。

 

しかしそれは全て私のせいです。

もちろんねこのおかあさんのせいなんかではありません。

私が思い込んだだけのことでした。

私が私に問題を作らせて悩んでいたのです。

何がおきても、それを問題とするか何も気にしないか。

それだけのことです。

私が周りの目を気にしすぎて、動けなくなっただけです。

 

もっと気楽に、もっと自信を持って

どんなことがあっても、どんな時でも

私らしく生きて行こうと強く思いました。

 

今回の件は、私の気持を見直す良いチャンスだったと思います。

一回り図太くなって、これからも中皮腫を小脇に抱えて生きて行こうと思ってます。

居場所    2018 9.4

 

病気になった時の同病の人達との繋がりはとても有り難いものです。

 

稀な病気と言われる中皮腫だったらなおの事

身近に同病の人は中々いないので

同病の人がいると知っただけで

勝手に仲間意識わき

ひとりじゃないと思えて頑張れるのです。

直接繋がりはなくても

同病の人の存在そのものに価値があり嬉しいのです。

 

そんな貴重な同病の人達から

私は快く思われていないと感じてしまったら

とたんに自分に自信が持てなくなりました。

私はどんな風に動いて、何を言ったらいいのか

解らなくなりました。

私の居場所がなくなりました。

 

中皮腫の自分を消してしまいたいけど

中皮腫も含めて私なので

何も出来ずにいます。

 

今はそんな中にいます。

もうすぐ抜け出せると思います。

死刑と人権    2018 7.27

 

オウム真理教の死刑囚の死刑が執行されました。

2回に分けてでしたが、1か月間で13人の命が無くなりました。

死刑制度がある日本ですから、何の問題もないわけですが

何か心に引っかかります。

 

私個人の意見では、死刑制度反対です。

死刑確定までには

裁判が行われたくさん議論されて決定されるでしょうが

所詮人命を奪うことには違いありません。

見方を変えれば人殺しに過ぎません。

 

人が人の命を左右するのはどうでしょうか。

犯罪者には人権はないのでしょうか。

 

自分が中皮腫になり命について考えるようになると

命ほど重いものはない、

命ほど尊重なものはないと一層思うようになりました。

 

被害者やその家族の方の想いはどうなのでしょうか。

死刑を望んでいても、実際に執行された時の気持はどうだったでしょうか。

清々しく穏やかな気持ちでいるでしょうか。

 

おそらく想像ですが、

そうでなかった方が多いのではないでしょうか。

そうだとしたら

誰のため、何のための死刑制度なのでしょうか。

 

今回の死刑執行をきっかけに

死刑制度をもう一度考え直す時がきたのではないでしょうか。

 

どんな場面でも

命に手を加えてはいけないと思っています。

歪んだ解釈      2018 7.16

 

人間関係で悩んでいます。

あれもこれも、思い当たる節はたくさんありますが

原因のひとつに歪んだ解釈があると思います。

 

想いを伝えるって難しいですね。

会話でさえ誤解を招く時があるのに

一方通行の文章では

読み手のその時の状況や性格で受け取り方が違ってきます。

 

ましてや私のように言葉を知らない人間の発言だと

真っすぐに伝わらず余計に難しくなるようです。

 

「私の意見が正しいから聞きなさい」と言っているのではありません。

今の私の感じている想いです。

ひとつの意見です。

ただそれだけのこと。

 

だけどその内容を勝手に解釈して歪んで受け止められると

「そうじゃないのに」と言いたくなります。

 

私はただその時々に

感じたことや思ったことを発言したつもりでした。

しかし

自分が思うように伝わらないこともある

相手には相手の都合があると知りました。

 

今更ながら

自分の言葉の重さを考えて

自分の意見に責任を持つようにと

改めて実感しました。

正義       2018  7.9

オウム幹部の死刑が執行されました。

 

サリン事件や弁護士殺害事件。

誰もが「それはやってはいけないこと」と解ることですが

当の本人達にはその意識がなかったのでしょうね。

おそらくその人達なりの正義があったのでしょう。

 

正義って言葉はとても綺麗で強い響きがありますが

それ故に、一度信じたら真っすぐに進んでしまうのでしょう。

 

何をもって正義とするのか

その判断を間違えないようにしなければいけません。

その為には、独りよがりにならないように

たくさんの色々な人達の意見にも耳を傾けるといいと思います。

 

自分の考えと反対の意見は中々受け入れ難いものです。

それでもまずは聴くこと。

そして自分の考えが正しいと思えばそのままでいい。

常にいつも心の窓を開いて

誰の意見でも受け入れると

間違った正義からは遠のくのではないでしょうか。

 

 

私の正義は間違ってないか?

独りよがりにならないように

たくさんの人達との会話を楽しみたいと思います。

患者 家族 遺族の関係性       2018  6,23

 

”肺がん患者にやじ”なんて記事を読んで、何だか考えさせられました。

 

私は中皮腫の分類だと、患者の立場です。

家族の立場の人や遺族の立場の人、或いは重なっている立場の人もいると思います。

その患者、家族、遺族、どの立場の人が、一番どうだとか順番優劣があるのでしょうか?

 

患者が一番辛い?可哀想?

傍で見守る家族は辛くはないのでしょうか?

変われるものなら変わりたいがそれも出来ず、体調の悪い時は同じように悪くなり

いつか来る別れをどうやって迎えればいいのか胸が張り裂けそうで

恐怖と不安な毎日だと思います。

傍に患者がいない遺族は辛くない?

人生で一番大きなストレスとされる死別を経験された遺族の人です。

私が今まで経験したストレスなど及びもしない大きなストレスを抱えての日常は

一体どんなものなのか、想像もできません。

 

それぞれの立場でそれぞれの想いがあり、比べられるものではないと思うのです。

平等の関係であり

それぞれの立場を思いやるならいいですが、

自分の立場を誇張して特別視してもらうのは可笑しな話です。

例えば私が、

「患者の私には時間がないのです」なんて言って

特別視してもらおうとするのは間違いです。

 

そして周りの人も、患者を特別扱いしなくてもいいのです。

”肺癌患者にヤジ”の記事も

患者をいずれ死んでいく哀れな人と思って,特別視して書いている風に見えます。

それは一見 優しい思いやりのある意見のようですが

よく見ると患者を哀れな人と見て,自分より下の立場に置いています。

 

自分の立場を誇張するでもなく

相手の立場を見下すでもなく

平等の関係性の中、思いやりを持って接したら

ギクシャクすることなく話が出来ると思うのです。

今年の省庁交渉が終わって       2018 6.4

今年の省庁交渉が終わりました。

私は参加しませんでしたが、参加された人達は、
頑張った自分達に手ごたえがあったようです。
今までと比べて何か違ったものを感じたようです。
その熱い想いを、私はただ遠くから眺めているだけです。


乗り遅れてしまいました。
いや正確には、乗りませんでした。

今まで毎年、患者と家族の会の皆さまが交渉して下さり
たくさんの議論を交わして、多くの成果がありました。
その今までの礎があったからこそ、今年も席を設けることが出来ました。
そのことに背を向けて、感想を言い合うのは
私はさみしいのです。

今年は100人を目処に参加を募ったようです。
患者の声を聞かせようと、皆が熱くなって集まってきました。
手段のひとつとして、作戦のひとつとして
良いアイディアだと思います。

だけど私の目には
それはネット上で知り合った人のオフ会のように映りました。

患者会とオフ会とは違います。
私はオフ会には参加するつもりはありません。

患者会とオフ会が混ざって
今までの患者会と違う
私にとっては近寄りがたいものとなってしまいました。

 

省庁交渉 私が訴えるなら     2018  5、27

 

私が胸膜中皮腫と診断された時、初めて聞く病名で何も知りませんでした。

原因とされるアスベストの事も名前は聞いた事があるけど、

正しい知識は何もありませんでした。

それは私だけではなく、他の中皮腫患者さん達も

ほとんどの人が同じように中皮腫やアスベストの知識がなかったと言われています。

もしも早くから私にアスベストの知識があれば

きっとアスベストには近づかなかったでしょうし

どうしても必要ならば防護服等使用して暴露しないように気を付けたと思います。

そうすれば胸膜中皮腫という、治らない死と向き合う病気になんてならなかったと思っています。

アスベストはまだまだ身近にあり、誰でも発症する可能性があります。

そんな人達をひとりでも少なくする為には、正しいアスベストの知識を知ってもらうことです。

その為に出来ることは何があるだろう?

一生懸命に訴えても、当事者でなければ誰も耳を貸してくれません。

自分に関係ないと思うことには、誰も気にしないのが普通のことです。

ではどうすれば皆に届けることが出来るのか?

私が思うには、学校の授業で教えるのはどうでしょうか?

小学生の高学年の頃に、アスベストの正しい知識を教えてもらえると

一生その人の知識となり予防できると思うのです。

どうか教科書の中にアスベストの項目を入れて下さい。

アスベストの歴史、クボタショック、瓦礫問題、

どの角度からでもいいですから教科書に載せて下さい。

そうして自分や大切な人の命を守れるような世の中にしてください。

 

もうすぐ省庁交渉の時期になります。

毎年患者と家族の会の人達が交渉して、たくさんの成果があります。

国に何か言いたいことはないですか?と聞いてもらえます。

今の私ならこれが言いたいです。

今を楽しむ     2018 5.17

 

お陰様で とても順調です。

 

アリムタ治療そのものも、体調不良で出来ないなんて事もなく

三週間毎に行っています。

何より私の生活が、抗がん剤治療を中心に回ってしまうのではないかと

心配していたのですが、そんな事もありませんでした。

 

副作用は吐き気や倦怠感が出るのですが、辛い時期は四~五日で、

一週間もすれば体調は回復して病気を忘れていられる時間も持てるようになります。

 

アリムタ単剤になってからの効果は、まだ何も解りませんが

特別伏せる訳でもなく、自分の好きなことが出来て、好きな場所に行けて

これ以上望むものはありません。

 

とても今に満足しています。

 

この調子がいい今を、五感全てを使って味わって、堪能したいと思います。

過去を振り返って嘆いてみたり、未来を予測して不安になってみたり、

それは辞めておきます。

アリムタ単剤治療開始     2018 4,25

 

久しぶりの抗がん剤治療でしたが、一区切りしました。

回を重ねる毎に副作用は強くなり、長い冬眠生活でした。

しかしCT検査で腫瘍は縮小しているとの判断でしたので、ひとまず安堵しています。

せっかく効果が見られたので、これからはアリムタ単剤で治療することになりました。

これからは、強い副作用がで出て体が耐えられないや、効果なく進行したりと

何らかの問題が出るまでは続けられる予定です。

 

三週間毎に行われる抗がん剤治療が決まりました。

それは、私の生き方を見直す良いタイミングになりました。

 

治療優先の生活に陥らないように気を付けたいと思います。

治療をする為にあれこれと時間を割いて、

自分の楽しい時間が減る事のないようにしたいです。

楽しく生きるための治療であって、治療するための人生ではありません。

その時その時で、何が一番大切なことなのか、

優先順位を間違えないように生きて行きたいです。

巡る季節       2018 3、25

 

桜の季節が巡ってきました。

今年も満開の綺麗な桜を見ることが出来ます。

 

中皮腫と診断された時、どうせ長くはない命だからと

積極的な治療を止めることにしました。

ストレスのない生活が良かったのかもしれません。

何故か八年元気に過ごすことが出来ました。

 

しかし無治療には限界があります。

さすがに息切れや痛みが強くなると

このまま終わるのは嫌だと思いました。

 

もう一度抗がん剤治療をしてみよう。

そして これで効果がなかったら、今度こそ覚悟を決めよう。

そう思って抗がん剤治療をしています。

 

お陰様ですぐに効果があり、息切れや痛みはほとんど無くなりました。

 

今年も生かされています。

九年生になりました。

 

これから先のことは何も解りません。

 

時々答えの出ない、難しいことを考えます。

なぜ私は生きているのだろう?

何をすればいいのだろう?

生きてる限り、向き合って生きたいと思います。

それぞれの感受性     2018  2.19

 

ねこのお母さんのブログで”夏みかん”のワードが出た時、とても驚いてドキドキしながら読みました。

普段自分に対しての言葉や評価なんて、耳にすることはありませんから、とても緊張しました。

 

まずは「夏みかんさんへのエール」を読んで。

遅くなりましたがNさんどうもありがとうございます。

私のことをとても買い被って観て下さって、有り難いやら恥ずかしいやらです。

私は特に大きな志を持っているわけでもなく

本当に気ままにその日を生きているだけの私の独り言に、

あんなに大きな意味を付けて下さって、それを伝えて下さって感謝しかありません。

とても励みになりました。

姿勢を正して頑張ろうっと気になりました。

 

そしてひとつ思ったことは、

Nさんのあの言葉は私の生き方が前向きで強かったからではなく、

Nさんが今までの人生を歩んできたうえに出来上がった感受性が

そう受け止めさせたのです。

全てNさんの目を通して見えた事を、Nさんの綺麗で豊かな心が感じて発した言葉なのです。

これからもどうか色々な出来事を、豊かな心で見続けて下さいね。

エールはしっかりと受け取りました。

 

そしてねこのお母さんの古川さん。

会ったことがある人なら誰でも知っている

思いやり、優しさ、芯の強さ、頭の良さ、

それでいて親しみやすさを持ち合わせて、人脈もとても多い人です。

そんな人の中での私の存在なんて、あるなんて思ってなかったのでとても恐縮しました。

私の行いをそんな風に言って下さるのは

やはり先ほどのNさんと同様、私の行いが特別なわけではなく

古川さんの感受性がそうやって受け止めてくれたのですね。

 

同じ景色を観ても人それぞれ感想が違うように

その人が育てた感受性によって

目の前の出来事の評価が決まってしまうのだと思いました。

 

今の私の周りには

そんな研ぎ澄まされた感受性の持ち主ばかりのような気がします。

その人たちのお陰で、

私がどれだけ救われたでしょうか。

どれだけ励まされたでしょうか。

 

そうやって見ると

私の人生も

まんざら悪くはなかったなと思えるのです。

残された者が出来ること   2018  2.4

 

ネコのお母さんのブログで報告がありましたが、

”闘病中です”の村瀬さんが亡くなられたことを知りました。

 

私は直接お会いしたことはないのですが

同じ紙面で繋がっている仲間だと、勝手に親近感を持っていました

 

今までも同病の人の死は経験してきましたが

村瀬さんの死は、今までとは少し違った感覚で受け取りました。

 

今までの人達と違ったのは、私の環境です。

 

私の立場が中皮腫九年生であること。

気になる症状もあれこれと出てきて、自分の死を意識し始めたこと。

 

そんな中での仲間の死は、特別で身近に感じてしまいました。

 

何を思って闘病生活を送っていましたか?

自分の人生は綺麗に完結できましたか?

 

複雑な想いで受け取った村瀬さんの死を私なりに消化して、

これからの闘病生活に生かして生きます。

悔いのないように、前向きに頑張ることが

今まで出会って別れた仲間への供養になると信じています。

 

村瀬さんのご冥福をお祈りします。

花丸な人生を目指して   2018 1.27

八年振りの抗がん剤治療をしました。

(七年振りと思ってましたが、曖昧になるくらい遠い昔の出来事です)

アリムタとカルボラチンの併用です。

 

久しぶりの抗がん剤治療でしたが、薬剤を取り扱う時の看護師を見ると

エプロンを着けメガネをかけてもちろん手袋を着けて、完全防御の体制でした。

そんな強い薬なのかと思いましたが、その強さを味方につけて「がん細胞をやっつけてやる!」

と念じながら治療に臨みました。

 

当初使ったシスプラチンより副作用が軽いとの説明を受けてましたが

現実は甘くはありませんでした。

八年前の治療時の体感をすっかり忘れていたようです。

 

とにかく眠くて起きていられず、フラフラして体が重いのです。

三日間は別世界にいた感覚です。

それが副作用の倦怠感だと気付いた時、倦怠感が思い出せないほど抗がん剤から遠のいていた生活だったのかと、

がん患者なのにお気楽な人生だなと少し笑えました。

 

今は副作用も抜けて一息ついているところです。

 

これから先のことを考えると、何が一番望みなのか、、どうすればいいのか

考えどころだと思います。

今が踏ん張りどころだと感じています。

 

治療の効果が目に見えて表れて、どんどん縮小されて次の治療法にも繋がって完治できたら。

それは嬉しい事ですが、それだけに囚われるのは間違っている気がします。

どんな結果が出ようとも、結果に左右されることなく、全てを受け入れて

私なりに有意義な時間が過ごせていれば、それが花丸な人生なのではと思うのです。

労災について       2018  1.21

 

いつかは話題にしたかった、労災の話をさせて下さい。

 

まず初めに、私は労災認定を受けています。

認定されるとは考えてもいなかったのですが

(知識がなくて労災がどんなものかさえ知らなかった)

古川さんと知り合ったことで、とてもよく調べてもらえて

全て古川さんにお任せでしたが

労災認定にこぎ着けることが出来ました。

 

だから私はとても運がいいと、喜んでいるのですが

労災の中身にすごく差があることは不満があるのです。

他の労災の人達の全てを知っている訳ではないですが

私とは違って、もっといい条件の人達がいるのは知ってます。

 

私の場合の認定は、三十年前の職場です。

二十歳過ぎてすぐの、初めての職場のような所です。

三十年前の二十歳過ぎの初めての職場。

給料がどのくらいか、想像はつきますよね。

十ニ~三万円です。

その給料で計算されるのです。

 

中皮腫の潜伏期は三十年とも五十年とも言われています。

アスベスト暴露した当時の給料で計算はされるのです。

 

 

私が思う労災とは

病気や怪我をした当時の収入で計算されると思っていました。

それは暴露した時ではなくて、中皮腫と診断された時だと思っていました。

三十年も前とは、大きく違ってきます。

 

 

その他で私が思いつく人を挙げると

暴露した職場を定年して、しばらくして中皮腫と診断された人。

働いている職場で暴露して、働いている最中に診断された人。

昔働いていた職場で暴露して、定年後診断された人。

 

皆内容は違ってくると思います。

そして他と比べて自分が不利な計算だったら

やはり納得いかないと思います。

 

どんな立場であれ、差別なく納得のいく十分な補償でなくてはならないと思っています。

 

誰でも

好き好んで、潜伏期の長い疾患に罹った訳ではないのです。

好き好んで、アスベストを吸った訳ではないのです。

 

アスベストと労災について

もう一度考え見直してほしいです。

病人様       2018 1.12

新しい年を迎えることができました。 

 

息切れや痛みの出現で、一時期は諦めかけた人生ですが

不思議なことに、気持がしっかりと座っていれば

同じ症状なんですが、何とかなるだろうと前向きになれて、余命はまだ残っていそうです。

 

考え方ひとつとらえ方ひとつで、こうも気持が楽になるのかと思っています。

車のギアをひとつ入れ替えて、今の私の状況を受け入れて

ひとつ進んだ段階に身を置いてみます。

 

認めたくなかったのです。

自分が不治の病であることを。

だけどひとつ進んだ状況から、出来ないことは求めずに、残された機能で何ができるのか

その中で楽しく時間を過ごせればいいのだと分かりました。

 

なーんて言うといかにも重病人の末期のようですが

寝込んでいる訳でもなく、普通の生活を送っています。

今までは何の不自由もなく生活していたので

病人だと思うことが負けのようなような気がして認めてなかったけ

私は普通の病人なんだと認めれば

それだけで気持と体がマッチしてしっくりきて

安定した時間が持てるようになりました。

病人なんだから当たり前。

胸膜中皮腫なんだから、痛みがあって当たり前。

息切れするのは当たり前。

 

これからは病人モードで生活します。

そこどけそこどけ 病人様が通ります。

呼吸苦と扇風機    2017 12.27

 

胸膜中皮腫を小脇に抱えて、足取りも軽くさっそうと歩んで行く日常を綴る予定でした。

それが近頃では、私の中で割合が大きくなり、両手で一生懸命抱き込んでいました。

大きくて重たくて、思うように歩けず、その場に立ちすくんでいました。

 

私の今までの症状は痛みが主でしたが、薬と時間の経過でいつも治まっていました。

それが今回新たに加わった症状は、呼吸苦です。

激しい運動をするわけでもなく、ただ日常生活を送っているのに息苦しく感じる時が出てきました。

そしてその事に意識がいくと、とたんに恐怖が湧いてきて

「私はもうすぐ死んでいくのだ。この苦しい状態で死んでいくのだ。」

そう思うと、とても不安で恐怖しかありませんでした。

 

胸膜中皮腫と診断されて、あと二か月で八年経過します。

当初は治らない病気だと知り、それなりに覚悟もしたし、生き方や死に方も散々考えたつもりでした。

しかしいざ私は治らない病気なんだ、死んでしまう病気なんだと目の前に迫ってくると

やはり死にたくないんですね。

この世から私がいなくなるとは、私はどんな体感をするのだろうと考えると

未知の世界は恐怖しかありませんでした。

潔く死にたいと思っていたけど、それは綺麗ごとでしかないと解りました。

 

そんな時古川さんから電話があり、またいつものように私の心情を吐き出すと、

いつも傍で見守ってもらえている感覚が伝わって来ます。

そして呼吸苦に対してのアドバイスも貰えました。

 

聖路加の長松先生の紹介で、ヘレン先生の講義を聞いたことがありました。

その時の話で、呼吸苦の時は小型扇風機で顔に風を当てると良いとありました。

おまけにその時ヘレン先生から扇風機を頂いたのでした。

すっかり忘れていたのですが、古川さんから顔に風を当てるといいよと教えていただき

しまい込んでいた扇風機を出して、早速試してみました。

 

いきなり涼しい風が顔に当たり、気持がほっと落ち着いてきます。

お風呂上りにも試してみると、いつもならため息が出るところに、

とても安堵の息をして効果てき面です。

 

それからは不思議な事に呼吸苦ともうまく付き合えて、

あれだけ恐怖だったのが落ち着いています。

 

いつも傍で見守れているという安心感が、今の私には大きな力になったようです。

この調子で来年もまだまだ頑張れると力んでいる私です。

季節を味わう  2017 11.9

少し間が空いてしまいましたね。
体調が良かったり悪かったりしていました。
悪い時は病人らしく大人しくして、波が過ぎるのをひたすら待ちます。
大波だったり小波だったりありますが
必ず波は去ってくれます。
そして波が去った今、季節は秋になりました。

病気になる前は毎日の生活が忙しく、時間との闘いで心の余裕はなかった気がします。

病人になって残された時間を意識するようになったら
時間はとても大切なものでゆっくりと味わいたいと思うようになりました。
改めて季節の移り変わりやその時々の行事があることを知りました。

四月には桜が咲き、青葉が目を出し、長雨の中田んぼの苗が育っていきます。
蛍が舞いだすと、蝉も負けまいと泣き始めました。
向日葵が眩しい太陽を見つめながら、遠くには入道雲が見えます。
コスモスが色づき始めると、彼岸花もあぜ道に整頓します。

今は、透き通るような青い空が見えます。
柿の実が重たそうに揺れています。
そんなひとつひとつをじっくりと楽しんでいます。
「あー生きてるぞー」って、心底思いながら見ています。

今年も松茸頂きました(^_-)-☆
 
鎖を解き放す    2017 10.24

先日受診日でした。
四週間毎の通院で、採血と胸部レントゲンと診察があります。
最近ではいつもなのですが
家にいると色々な事で不安になり、とても悪くなっていて入院になるかもと思い臨みます。
しかし実際診察してもらうと
あまり変わりはないようですねと言われて
何事も無かったように帰ります。

いまだに中皮腫のことも、自分の体のことも解っていないようです。
まだまだ中皮腫に踊らされている私です。

自分で自分の足に鎖を付けて
動けないようにしていたみたいです。
体調を知るときに体のことは二の次で
心の内を重点にして決めていたのかもしれません。

もっと冷静に客観的に自分の体を観察して
重たい鎖を解き放します。
 
再スタート   2017 10.17

私が中皮腫と診断された時には、リンパ節に転移があり手術はできませんでした。
唯一の根治治療とされる手術ができなかったので
近い将来には死んでしまうのだと思いながら生活をしていました。
年月が過ぎれば過ぎるほど、人生最後の日に近づいているのだと思っていました。
そんな想いが頭にあるので、体調が優れない時は人生最後の日が目の前に現れます。
しかし冷静に観察すると、体調不良は中皮腫以外のものだったりします。
膠原病からの体の節々の痛み。
挙句には歯槽膿漏からの歯痛、頭痛。
何でもかんでも全て中皮腫のせいにして、ひとりで勝手に人生最後の日を想像していました。

とても滑稽ですよね。
そんな私の目を覚ましてくれた言葉があります。
”今日は残りの人生の最初の日”

どうして私は最後の日を待つような考え方をしていたのでしょうね。
いつでもどんな時でも
今日が始まりの日だと気が付きました。
何でも初めていいのです。
改めて
再スタートです。

 
新薬    2017  10.8

ips細胞の研究が進んで、新しい技術がどんどん開発されてきています。
治らないとされている病気の新薬や治療法ができてきます。

ひと昔前の結核やエイズは
命が無くなる病気と恐れられていたのに
今では治療薬を服用すれば治るとされ
怖くない病気となっています。
中皮腫もいつかは同じ道を辿ることができるのでしょうか。
いつかは治る病気となり
恐れることがなくなるのでしょうか。

一日でも早く治療法が見つかりますように。
そして出来ることなら
私がその恩恵が受けられますように。

そんなことを思いながら
ips細胞のニュースを見てました。
 
救いの言葉     2017 9.28

十日ほど前からでしょうか
不安感がずっと付きまとっていました。
突然に、降って湧いてきたように
私の心に住み着いてきました。
「これからどうなるの」とか具体的な不安ではなくて
本当にただ「不安」な感情が心に住み着いていました。
何が不安なのか解らず
どうしてこんな気持になったのか、原因も解らず
自分の感情を持て余していました。
相手はいつも心の中にいる「不安感」なので
不意に目の前に現れて私を憂鬱にさせました。
怖くて心細くて
だけど取り除けなくて逃げ場所がなく
とても苦しかったです。

その苦しかった状況から抜け出せたのは
先日腕の痛みのために
他の病院の麻酔科を受診し
そこで診察してもらったドクターの言葉です。
最近不安を感じると伝えると
「そういう時期なのでしょうね」答えてくれました。
何でもない ただのひとこと
とくに意味はなかった言葉なのでしょうが
私には大きな救いの言葉でした。
素直にストンと腑に落ちました。

私の心のどこかで
不安になってはいけない
いつも強く前を向いていなければいけないと
決めていたような気がします。
だけど長い闘病生活には
不安な時期もあれば
前を見て頑張る時期もある。
その時その時
それ相応の時期というものがあることを知りました。

これからは
何か問題が起きたら
今はそういう時期だからと
体も心も認めてあげて
気楽に乗る超えられるようにしたいです。
 
幸せ指数    2017 9.16 

もしも 私が中皮腫でなかったらと
想像する時があります。
まず思い浮かぶことは
仕事は必ず働いていたでしょう。
しかしその他に
今出来ていないことを探そうとするのですが
おかしなことに思いつきません。
私の想像力の弱さ故かもしれませんが
病人だからとセーブしているものはありません。

もしも中皮腫でなかったら
絶対に今よりは幸せな筈 と
決めつけていましたが
どうやらそうでもないようですね。

働くというのは
社会人として世間との繋がりがあり有意義ですが
私の場合はそれ以上にストレスの割合が多く占めます。
だから仕事をしていない今の方が
とても楽で生きやすいのは確かです。

私は
病気になった今がとても不幸だと思っていません。
今の私の心配事は
世間一般より早く死んでしまうかもしれない
と言う思いと
痛みや倦怠感が強いのは嫌だな
と言う思いくらいです。
そのふたつの思いに 
私がどれほどしがみ付くか どれだけ重点を置くかによって
幸せ度合が決まってくるような気がしています。

不幸探しは辞めて
ぐーんと幸せ指数上げていきたいです。
 
なりたい自分    
先日「私の人生を謳歌する」と宣言したばかりですが
近頃痛みが思うように取れず、低空飛行の生活の中にいます。

私は体調がいい時は
何も怖いものはないと、とても強気なのですが
 一旦体調不良を感じると
 まず体が反応して動作が鈍くなり、
 次に気持もそこに集中して
 「どんどん悪化して死に近づいていくのだな」と
 悪い事しか考えられません。
 不機嫌で後ろ向きになります。
そんな私が発する負のオーラは
家族も巻き込んでしまい、家の中は重たい空気が流れます。

 何ひとついい事はありません。

 こんな状況から抜け出したい。
一歩前に出て行きたいと強く願います。

どんな時でも強い気持でいられて
どんな場面でも心軽やかな自分でいたいと願います。

自分の立場を考えると
今以上に良くなる事はないのだから
そこは恐れず腹を括って
どんな場面でもどんな病状でも
理解して受け止めて、心の余裕を持ちたいです。
そして
現状を楽しめるくらいの心の余裕を持ちたいです。 そんな人間に 私はなりたいです。

  そうゆうものに わたしはなりたい(宮沢賢治風に(^^♪)


 
2017   9.8
  
暗示を解かす  2017 8.29

私が胸膜中皮腫と診断されて、7年の年月が過ぎました。
とても長い時間です。
振り返るとその年月を、私は無駄に過ごしてしまった気がしています。

当初に「中皮腫は予後不良」と頭にインプットしてしまったので
私は中皮腫に振り回され、生活の中心は中皮腫患者でした。
何をするにも何を考えるにも(中皮腫患者の私だから)を初めに付けるのが普通だと思っていました。
家族にも周りの人達にも、そんな目で見てもらっていたと思います。
ぬるま湯にどっぷり浸かっている様で、とても楽ちんな生活でした。
だけどそれは、
病人だからできない、してはいけないと暗示にかけているだけだと気が付いたのです。

なんて勿体ないんだと、やっと気が付きました。

中皮腫を患ってはいるけれど、それが私の全てではありません。

今は
何でも出来る私がいます。
どこでも行ける私がいます。
妻でもあり母でもあり、まだまだ女でもあり
役目はたくさんあります。

これからは、胸膜中皮腫を小脇に抱えて
いや、ほんの片手で摘まんでいる感覚で
私の人生を謳歌するつもりでいます。

そんな日常を、皆様と共有できたらと思っています。

 
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