石綿入麻袋の再生工場元労働者遺族が提訴
- 古川和子
- 2018年12月25日
- 読了時間: 3分
12月20日、大阪地裁に堺市の仲間が泉南型和解国賠の提訴をしました。
私も記者会見に同席してきました。
私は2008年に初めて「石綿入り麻袋の再生工場」の存在を知りました。
最初に認識したのはSさんという元麻袋再生工場労働者のご遺族の話からでした。
そして数か月後に、Mさんという40歳代の女性中皮腫患者と出会いました。
どこでアスベストを吸ったのか知りたいと相談を受けました。
そして2ヶ月位してOさんという40歳代の女性中皮腫患者とも出会いました。
ふたりは近隣に行動拠点がありました。
その後ふたりのアスベストばく露原因は、ほぼ特定できました。
どちらも「麻袋再生工場」に関係していたのです。
しかし「クボタ救済金」のように補償にはつながりませんでした。
以後、「もっと被害がでているはず」と様々な聞き取りを行いましたが詳細は解りませんでした。
その間にMさんとOさんは亡くなりました。 遅々として進まない調査に大きな進展があったのは2013年11月でした。
「私たちも西成区の工場近隣住民のように無料の検診制度が欲しい」と電話が入ってきたのです。
突然の電話で現在の「堺対策チーム」メンバーとの出会いが始まりでした。
以後、少しづつですが麻袋再生工場の様子がわかり始めました。
大阪市内にも多くの事業所が点在しているとわかりました。
多い時は「道頓堀川を空の麻袋を積んだ船が行き交っていた」そうです。
ある人は「大阪府内で、90ヶ所はあった」と言っていました。
今回の提訴のきっかけとなったのは、泉南の国賠をされてきた村松弁護士からの電話でした。
「堺市の元麻袋再生業業労働者の遺族に厚生労働省から通知が来た。ついては、当時の作業内容を知る人を紹介して欲しい」というものでした。
そこで遺族であるYさんの親族を紹介しました。
その話の中で、Yさんも裁判が出来るという話題になりました。
そしてHさんにつながり、今回は両家族とも提訴の運びとなったのです。
2008年の環境被害者との出会いから続く2013年11月のメンバーとの出会いがあり、今回の提訴となりましたが、これも全て2014年、泉南国賠和解判決のお陰です。 繋がって行く縁に感動と感謝の気持ちでいっぱいです。
以下毎日新聞記事です。
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「石綿麻袋で中皮腫」 従業員遺族が国賠提訴 堺の工場 (毎日新聞)
2018/12/20 22:48
アスベスト(石綿)の原料が入っていた麻袋をリサイクルする堺市の工場で1940~70年代に働き、健康被害を受けて亡くなった従業員4人の遺族らが20日、国に損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。同業の工場は各地にあったとされ、弁護団は「原因に気付いていない場合も多いので、被害を掘り起こしたい」と話している。
訴状などによると、4人は堺市内にあった3工場で働いていた。麻袋に付いた石綿を落とし、袋を裁断して包装材などに加工。中皮腫や石綿肺を発症して2013年までに亡くなった。
石綿による被害を巡って国の責任を認めた14年の最高裁判決を受け、国は中皮腫などを発症した労働者を対象に、就労期間など一定の条件を満たせば裁判で和解に応じている。
麻袋による被害の訴訟は初だが、遺族側は4人が条件に当てはまるとして、1人につき1430万円で和解するよう求めている。
母親が中皮腫を発症して71歳で亡くなった原告女性(66)は「母は痛みに苦しみ、何も食べられずにやせ細っていった。石綿が原因だと分かれば、もっと長生きできたのでは」と声を詰まらせた。
「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」(東京)によると、麻袋の再生作業は戦後から70年代に行われ、堺市内では労働者ら、少なくとも12人が石綿疾患で死亡。同業の工場は当時、大阪府内で約90カ所あり、兵庫県や広島県などにもあったという。
厚生労働省石綿対策室は「訴状が届いていないので答えられない」とコメントした。
被害の相談は大阪アスベスト弁護団(090・3273・0891)。【戸上文恵】
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