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12月

  • 執筆者の写真: 古川和子
    古川和子
  • 2018年12月18日
  • 読了時間: 2分

12月は私の誕生月です。

どうやら予定日よりも早く母のお腹から飛び出したみたいで

「年末の忙しい時に…」といつも言われていました。

来年は私の干支「イノシシ」の歳です。

ふと12年前を思い出しました。

寂しく60歳の誕生日を迎えようとしていたら、宇部医療センターの岡部先生から電話をいただき

はじめて病院を訪問しました。

そこで出会った中皮腫患者さんはいまもお元気と聞きます。

そして自分の労災遺族年金の「平均賃金見直し請求」が3年8ヶ月ぶりに解決したときでもあります。

当初は「特別加入」で労災認定になりました。

認定が決まって労働基準監督署に「どちらで認定になりましたか」と尋ねたら

「え?」と労災課長の戸惑いの返事。

「特別加入ですか?、労働者ですか?」と私。

「請求のあったほうでやりました」と課長の返事。

「でも大阪労働局の棄却文書には『認定になるときは労働者』と書いてあったでしょ」と反論。

「それなら最初からやり直しです」との言葉に

「いまのままで結構です」と私。

肺がんで末期状態の夫は病室で「労災認定」の報を待っていました。

最初の労災申請は監督署で不支給決定、労働局で棄却、そして労働保険審査会に…と変遷を繰り返してきました。

せめて夫の生きているうちに結果をだしてほしい、と切に願いました。

いろんな方たちとの出会いのお陰で、やっと「認定」までこぎつけました。

決定された賃金は不服のままでしたが、まずは夫の生きている間に報告が出来ました。

そして夫の死後数年経って「賃金見直し」を請求したのです。

その時は関西労働者安全センターの片岡さんに助けてもらいました。

「いまさら…」と監督署は戸惑っていましたが、「あの時にきちんと調査しなかったからでしょ」と主張しました。

そして、特別加入から労働者に変更が決まりました。

でも「こんな金額ではない」と不満が残りました。

なぜなら「給与を証明できる資料が無い」から不当に低く認定されたのです。

いろいろと調べました。

「もうこれ以上は」と周辺は諦めの雰囲気でした。

しかし、ここまできたらやれるところまで…と再び労働保険審査会に提出しました。

そして忘れた頃に連絡が有りました。

やっと、納得のできる賃金算定がなされたのです。

その説明を受けたのが12年前の12月です。

賃金変更を求めて3年8ヶ月たった時でした。

夫が亡くなってから5年9ヶ月が経っていました。

「あきらめないで!」

私は自信を持って言えます。

しかし…どうしようもない事もあります。

その時は潔くあきらめよう。

潔くあきらめるためには、今を頑張らなければ。

今年の12月も新たなドラマが待っているような気がします。


 
 
 

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