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八木千年さんとのお別れ

  • 執筆者の写真: 古川和子
    古川和子
  • 2018年10月24日
  • 読了時間: 2分

10月15日夜、鹿児島市内の病院で八木千年さんが永眠されました。

1943年生まれの八木さんは若い頃、集団就職で大阪府泉南の石綿紡織工場に働きに行きました。

働いた期間は2年3ヶ月でした、

その後鹿児島に帰り、石綿とは無縁の仕事をしていました。

しかし2009年のレントゲン写真では肺が白くなって息苦しさを感じるようになりました。

石綿肺で労災認定されましたが、その後肺がんも発症しました。

いつも明るく前向きな八木さんは私が鹿児島に行くたびに喜んでくれました。

3年前は大阪に夫婦でやってこられて、奥様の希望で京都観光もいきました。

かつて石綿工場で働いていた方たちのために、自身が「泉南型国賠」で和解したときには鹿児島県庁で「これは人災だ」と記者会見もしてくれました。

最後に会ったのは9月28日です。

そっと会いに行きました。

短い時間でしたが、会話が出来て笑顔も見ることが出来ました。

帰路についた私とHさんを

奥様の押す車いすに乗りエレベーターまで見送ってくれた八木さんは

大きな目を見開いてしっかりとこちらを見ていました。

「きれいな目…お別れですね」

思わず私の心が語っていました。

15日夜、静かに76歳の生涯を終えられました。

奥様のお許しを得て「夫と歩んだ日々、すべてが宝物です」をご紹介します。

心より八木千年さんのご冥福をお祈りするとともに

限りない感謝の気持ちでいっぱいです

有難うございました


 
 
 

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