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何のために生きる?

  • 執筆者の写真: 古川和子
    古川和子
  • 2018年8月18日
  • 読了時間: 3分

「娘が発見してくれたので、二日後に意識を取り戻しました」

突然の電話で息をつく間もなく語る、2年間の出来事でした。

「2年前の6月に電話した〇〇です。覚えていらっしゃいますか?」

一瞬戸惑ったけれども、確かにお名前に聞き覚えがあった。

「久しぶりですね!お元気ですか?」の問いに始まった、この2年間の出来事を聞くとさすがの私も声が出ませんでした。

当時は夫の体調不良を訴えての相談電話でした。

その時は緊急性を感じなかったし、地元の大学病院(アスベスト疾患には詳しいと思われた)に罹っていたから、安心感もありました。

ところが、電話の直後の7月10日に急逝されていました。

妻の話では「腹膜中皮腫」かな、と思うのですが今回の話の話だけでは定かではありません。

「夫があれほど苦しいと訴えていたのに…、もっと他の検査をしてほしいと懇願したのに…」妻は思いの限りを吐露しました。

医療者に対する怨言のかずかずは、私の心を締め付けました。

電話を受けたとき私はパソコンの前にいました。

そして話の途中から席を立ち、テーブルの椅子に移動しました。

これは半端な話ではない…そう感じた私は、じっくりと腰を据えて受話器から聞こえてくる声に集中しました。

妻の息づかい、声の調子、すべてに全神経を集中させました。

そして「主人の後を追いました」。

「え!」

「でも私が娘に架けた電話が途中で切れたので心配して駆けつけた娘に発見され、二日後に目覚めました」

いまも毎日が苦しいという。いまも死にたい衝動に駆られるときがあるという。

「既に労災認定になっており、お金がどうこうで電話しているのではない、それだけは解ってください。話だけでも聞いてほしくて」と繰り返す妻でした。

69歳で急逝した夫はとても優しかったそうです。

いまひとりで存在している自分は夫に対して申し訳なさを感じるそうです。

「一緒に死のう」とまで会話した夫婦は、自分だけ「生き遺ってしまった」ことに大きな罪悪感を抱くのです。

この方はしばらく話をすると落ち着いてきたようです。

やっと私の言葉も耳に入るようになりました。

自分の経験や、多くの方をみていると、この方は今一番虚しさが押し寄せる時だと思いました。

私は「そんなときは今日のように電話ください、いつでもお話を聞かせてください」と言いました。

「はい、有難うございます」

2年前に一度だけの相談電話でしたが、ちゃんと私の番号を覚えていてくれたのです。そして辛くてたまらない時、こうやって電話くれたのです。

「あなたが長生きしてご主人の供養をしないと誰がするの? このままほったらかしてご主人追っかけて逝ったら『わしの供養はどうなるのだ』と怒られるわよ!」

「ほんとうにそうですね!」

こんな会話もしました。

この2年間、生きていてよかった(◎_◎;)

この方も、私もまた、生きていたからこのような会話が出来たのです。

生きること、行かされていることの意味はまだ解りません。

しかし些細なことで「生きているからこそ」と思えることもたくさんあります。

この方もまた大事な「使命」を持っているのです。


 
 
 

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