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知覧特攻平和祈念館

  • 執筆者の写真: 古川和子
    古川和子
  • 2018年8月12日
  • 読了時間: 3分

熊本市の友人とその娘さんと3人で、知覧特攻平和記念館に行ってきました。

おりしも、広島の原爆投下から73年目の平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)でもありました。

あるとき熊本の友人から「何回も鹿児島に行かれたでしょうが、知覧特攻平和祈念館をご覧になったことが有りますか?よかったら一緒に行きませんか?」といわれて

「あ、そういえば…」と思いました。このままでは私はきっと「知覧特攻隊」の詳細がわからないままに人生を終えてしないそうな気がしたのです。

そこで友人の娘さんが運転してきた車に鹿児島市内で合流し、同乗させてもらいました。

当日は鹿児島市内で世界文化遺産に登録されている「島津のお殿様」の屋敷などを見学し、

さまざまな遺産を見ながら当時の薩摩藩の文化および意識水準の高さに驚きました。

http://www.senganen.jp/ (名勝 仙厳園)

翌6日は朝のテレビで流れる広島の平和記念式典のようすを見ながら、想いを馳せました。

その後は一路知覧に向けて走りました。

最初に訪問した「富屋食堂」では当時の若き特攻隊員たちの遺品や手紙に胸を詰まらせました。

17歳という若さで特攻隊に入ってきた若者もいました。

「あ、この方は年配だ」と思ったら、29歳。

なんという悲惨な現実でしょうか。

http://www.tomiyaryokan-chiran.jp  (富屋食堂HP)

その後、知覧特攻平和祈念館へ。

なんの説明もいらないです。

ぜひHPを見てください。

http://www.chiran-tokkou.jp/   (知覧特攻平和祈念館HP) 

特攻出撃の回数が増していく中、最後の方は遺書の中に「一億総特攻」という文字がありました。

なんとも痛ましい限りです。

自身が特攻隊として散り逝くことは覚悟していたとしても、

自分につながる父、母、兄弟、姉妹、そして愛する妻子がいたかもしれないなかで、

「一億総特攻」という言葉を書かざるをえない心境にまでなっていたのです。

何のための特攻?

何を守るための特攻?

あなたはなぜ死んでいかなければいけないの?

しかしもはや、そこには冷静な判断力はありません。

「死ななければいけない」という意識のみです。

「愛する人を守るために命をささげる」のではなく

「皆で死地に出向く覚悟」だったのでしょうか。

多くの人が、肉体だけでなく平常心までも戦争に奪われたのです。

広島で生まれて育った私がよく聞いた言葉があります。

「原爆が落ちたのは、戦争を終結させるために仕方なかった」と。

自分自身が原爆投下後の焼け野原を彷徨し、愛する家族を失う不幸に遭遇してもなお、

「仕方なかった」と自身を納得させようとしている姿はなんとなくですが…理解できます。

仕方ないのです。

そう考えないと、犠牲になった人々に申し訳なくていま自分が生きていけないのです。

また特攻隊戦術も「仕方なかった」という言葉も聞きます。

当事者であるご家族が「息子はお国のために」と諦めて受け入れなければ、

遺された家族もやりきれない気持ちでしょう。

しかし遺族でも関係者でもない人から

「仕方なかった」、「戦争を終わらせるために必要だった」という言葉は聞きたくありません。

万が一…たとえそれが事実であったとしても、決して言ってはいけない言葉だと思います。

人の命の犠牲の上に自分の命がある…そんなことは認められません。

愛する人を失った苦しみは、形容の方法がありません。

そのなかで「仕方なかった」と命の尊厳を否定される発言は許せないし、

今後の平和教育にも悪影響を及ぼすと考えます。


 
 
 

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