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省庁交渉に思ったこと

  • 執筆者の写真: 古川和子
    古川和子
  • 2018年6月10日
  • 読了時間: 3分

「命て、なんぼなん?」

大阪泉南国賠の映画のタイトルだと思っていたら、もっと身近なところにもこの言葉がありました。

 先日行われた患者と家族の会の省庁交渉。

とくに環境省との話は、命の値段をめぐっての議論になったような…というのは私の感性が悪いからでしょうか?

 突然の発病で健康と命を奪われて、その怒り、悔しさは計り知れないものがあります。私のような「取り遺された」者には、想像できないほどの苦しみとお察しいたします。

 私は後ろの方で皆さまの発言を聞きながら、石綿救済法の在り方の問題を再確認することはもとより、救済法制定そのものが間違っていたのかとさえ思いました。救済たるものが何もなかった時代の方が、石綿の被害を何も知らなかった時代の方が、心の葛藤が少なくて済んだのではないかとさえ思いました。

 世の中がリセットできるなら、元に戻して最初からやり直せばいいのに…と思いました。そうすれば、私の夫も私の家庭も元のままでいられたのに。労災補償もいらないから、もう一度もとに戻してほしい。

でも残念ながら時計の針を逆に戻す事はできません。いま自分が立っている場所を見極めながら前を向いて行くことしかできません。

 泉南原告の方たちも当初「命て、なんぼなん」と闘ってきました。しかしその闘いの中で「命の値段」と同時に、意義のあることへの闘いを見出したのではないでしょうか?

最初は自身の病名さえもたどたどしく語っていた原告の人々が、歳月を重ね時間を経るごとに、毅然と前を向いて、語り始めました。

ニッポン国を相手に敢然と立ち向かっていったのです。彼らの心の中には自身の命とともに、過去から現在に連綿とつながる石綿被害者の姿が重なっていたと思います。

 ニッポン国を相手に闘えたのは、弁護士・支援者の尽力ははもちろんですが、その後ろには大きな遺志がかれらを支えてきたと思います。

 患者と家族の会が地道に繰り広げてきた省庁交渉です。その場で大きな成果は得られなくても、着実に進んできたと信じています。

 いつの時代でも、どのような災害現場でも、被災者の立場による苦しみと考え方は温度差があります。しかしそれらすべての人々を包み込むような「被害者組織の運動」でありたいと願っています。

 残念ながら私は余命を宣告された方の苦しみのすべてを理解できないでしょう。しかし、その当事者を横でみていた苦しみと「取り遺された」辛さは、生涯消えることはありません。

私の周辺では、愛する人を失った方が自身も何らかの癌になるという現象が相次いでいます。癌にならなくても体調不良の方も多発しています。きっと大きなストレスを受けていたのではないかと…勝手に推測しています。

 患者が苦しんでいたら、家族もまた苦しみます。家族は第二の患者なのです。そして遺族は消し去ることのできない「心の傷」を負った被害者です。

 どんな能書きを書こうとも、患者の命と生活が最優先されるべきです。そしてアスベスト特有の現象である「過去・現在・未来」にわたる被害者の救済と被害撲滅のためには、さまざまな分野での専門知識が必要です。中皮腫治療薬の開発が進んで「中皮腫は完治する」病気となって欲しいです。

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