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希少がん(神経内分泌腫瘍)

  • 執筆者の写真: 古川和子
    古川和子
  • 2018年4月17日
  • 読了時間: 2分

希少がんとは、患者数が少なく「まれ」ながんをいいます。

2年前の4月14日、従姉が東京亀戸のひまわり診療所で名取雄司先生の診察後すぐに独立行政法人国立病院機構 東京病院に紹介されました。

私は当日、従姉の診察時間午後4時に合わせて上京しました。

ひまわり診療所待合室で診察を待っている間、不安がる従姉にかける励ましの言葉を必死で探していたことを鮮明に覚えています。

その後名取先生の診察と検査が始まりました。

従姉の指で測った酸素濃度は84%。

そして「う~ん、こんなレントゲン写真初めて見た」という名取先生。

そのレントゲン写真一面には、無数の白い影が写っていました。

呼吸器専門医である名取先生にもわからない白い影。

翌日、東京病院に行くとすぐに入院となりました。

車いすで酸素吸入している姿は、数か月前までの従姉から想像もできないものでした。

東京病院は呼吸器専門です。

その呼吸器の医師でも「わからない」の連発が続きました。

私も主治医と懇談しました。

日増しに衰弱する身体には厳しい検査が続きましたが、治療を開始するには病気を特定しなければできません。

そしてやっと判明したのが「すい臓原発の可能性がある、神経内分泌腫瘍」でした。

え~!?

昔、中皮腫ということばを聞いたときにも驚きましたがこの病名にも驚きました。

10万人に数人しか罹患しない、と書いている医学書もあります。

なぜ?…とうぜん従姉も自問自答したことでしょう。

しかし彼女からは「あれこれ検査した結果病名がわかった」と前向きな言葉がでました。

病名が解ったけれども、従姉に遺された時間は僅かでした。

東京病院は神経内分泌腫瘍の治療経験がないということで転院先を必死で探して宿りついたのが「がん研有明病院」でした。

「特別個室の一番安いところ」でした。

3日までは転院先の病院の快適さを何度もメールで報告してきました。

私はその翌日、従姉を見舞いました。

しかしその時はあまり会話が出来ない状態でした。

そして6日未明に従姉は逝きました。

異常を訴えて、名取先生の診察から一ヶ月半。

信じられない位の速さで逝ってしまった従姉の死は、素直に受け入れることが出来ませんでした。

「いとこ」仲間で一番仲が良かっただけに、私にとってはとても辛く、哀しい出来事です。

「希少がん」ということばを聞くたびに思い出す心の痛みです。


 
 
 

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