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4月です!

  • 執筆者の写真: 古川和子
    古川和子
  • 2018年4月2日
  • 読了時間: 3分

あっといいうまに過ぎ去った3月でした。

夏みかんさんの「桜メール」を貰って喜んでいましたが、それ以後少し心が落ち着かない日々を過ごしていました。

3月27日は

「石綿による健康被害救済法」は施行されて12年をむかえました。

前年の6月、クボタショックが起こり、尼崎市内はもとより全国に石綿被害を受けて苦しんでいる患者と家族がいることがわかりました。

「何とかしなくちゃ」

「皆救済されなくては」

と立ち上がった多くの人々の力により、140万名もの署名活動と、国会周辺デモ行進が行われました。

当時の小池百合子環境大臣に「生活できる救済を!」と詰め寄るような場面もありました。

日本中の人々が心を一つにして「石綿救済法」の実現とその充実を目指しました。

その結果は…まだまだ不十分なので、環境省中央環境審議会「救済法みなおし小委員会」などで頑張っています。

昨年度は「救済法被認定者」の介護実態調査も行わせました。

まだまだ道は遠いですが、着実に前進していきたいです。

そしてこの日は決して忘れられない出来事がありました。

この日の朝、クボタショックを引き起こした中皮腫患者である故前田恵子さんが永眠されました。

救済法の制定を見届けるように、お別れして逝ったのです。

そしてその5年前には、夫の最期の誕生日となった哀しい日でもあります。

3月28日は

17年前に永眠しました夫の命日でした。

労災認定が困難を極めて、やっと認定されたのは夫が亡くなる一ヶ月余り前でした。

それには、多くの方の尽力を頂きました。

そして旅立つ前の夫の最期の言葉は「お世話になった人の恩を忘れるな」でした。

その夫の言葉が、その後のいろんな方との出会いを生んできたような気がします。

この日が無かったら、私は全く別の人生を歩んでいたと思います。

3月29日は

あるご遺族と大阪労働局に行きました。

3月30日は

環境省との意見交換で早朝の新幹線で霞が関まで行きました。

石綿ばく露者の検診である「試行調査」に関して今後の方針などを話し合いました。

石綿対策室長が前向きな発言をしてくれたので、参加者は一様に和やかな顔になりました。

3月31日は

朝から帰阪して、午後は大阪府吹田市の千里ニュータウンの開発の様子を見てきました。

4月1日は

以前から相談のあった、大阪市内の解体現場を再訪しました。

毎年、3月27日、28日は心が落ち着かない状態になります。

しかし、何かと用事が出来て走り回りました。

きっと私の心が折れないように、夫が天国から采配してくれているのだと思います。

でも、ふっとした瞬間は涙が滲んできます。

夫のことを思えば、同時にこの間に出会った多くの患者さん達も思い起こします。

何年経過しようとも決して心から消え去ることのない辛い記憶は、歳を重ねるごとに増していきます。

でも、私たちは生きています。

泣くことも笑うこともできるのです。

遺されたものの辛さ、哀しさを心の奥底に抱えながらいまを生きています。

「生き遺ってしまった」と、故人に対して罪悪感を抱くこともあったけれど、生きているからこそ次に繋がるメッセージも残せるのです。

今日は「ニッポン国VS泉南石綿村」を観に行きます。


 
 
 

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