無念の涙
- 古川和子
- 2017年12月25日
- 読了時間: 2分
昨日、故塩見幸治さんにお別れしてきました。
彼の人脈と功績を物語るように、葬儀会場は入りきれない参列者でいっぱいでした。
駐車場で手間取っていた私は、「モニター室」に入れたものの座る椅子が無く最後尾に立っていました。
尼崎センターの飯田浩さんは元市会議員なので「議会関係者席」に。
途中で「足が痛い」…でもここに入れただけでも良かった、と思いました。
式が始まった当初から、今年1月に塩見幸治さん宅を訪問した光景を思い出して涙が溢れてきました。
約一年前…石綿問題総合研究会(於:東京工業大学大岡山キャンパス)で発表するための塩見さんのビデオレターを撮りに行きました。
私のスマフォで塩見さんのビデオレター作成…と心意気は良かったのですが、数分の撮影が終わってみると「あ、ビデオモードになっていない!」 (≧▽≦)
「ランプが付いていないからおかしいと思っていた」と塩見さん (;´∀`)
「もう一度お願いします」m(__)m
苦心の作は、1月29日(日)に「石綿健康被害救済法を考えるシンポジウム」のセッションで「中央環境審議会石綿健康被害救済小委員会への参加と課題」の一部として報告させていただきました。
稲村和美尼崎市長をはじめ多くの関係者が塩見さんの功績と人柄を偲び、改めて「惜しい方を亡くした」と思いました。
命に貴賤の差も、年齢による過不足もありません。
しかし一生懸命に燃やし続けた命の終焉は、人々の心を打つものだと改めて思い知らされました。
そこから「継承」が始まるのですね。
むかし、父親がいいました。
「死んだ後に皆から『いい人だった』と惜しまれる人間にならなければいけない」と。
「当たり前じゃない、死んだ後に悪口いう人はいないよ」と、当時中学生だった私は反論しました。
この歳になり、やっとその意味を深く心に刻み、昨日も涙しました。
昨日の夜の雨は、塩見さんの無念の涙のようでした。
立ちっぱなしだった私を気遣ってくれる平田忠男副会長の優しさは
いつものことながら癒されました。
Comments