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ノーベル平和賞

  • 執筆者の写真: 古川和子
    古川和子
  • 2017年12月13日
  • 読了時間: 2分

今年のノーベル平和賞は「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン)」に授与されました。そのニュースを聞いたときに「よかった」とやっと核兵器廃絶運動が国際舞台で評価されたのだと思いました。

そして授賞式のサーロー節子さんの講演は、魂の叫びがこだまするものでした。

悲惨…などという言葉では表現できないほどの地獄絵図を見てきた節子さんの心と体の痛みは、その体験を世界中に発信しました。

涙が止まりませんでした。

節子さんの経験は、幼いころより祖母から聞かされていた、叔父の姿そのものだったからです。

原爆ドーム付近で勤労動員していた14歳の叔父は、祖母の必死の救助によりその場から救い出されたけれど、まもなく「水…」と訴えながら息を引き取りました。

地獄絵図のなかで最愛の息子を失った祖母の手元に残された骨箱は空っぽでした。

そしてその事実は祖母が亡くなるまで親族の誰にも知らされていませんでした。

祖母は「骨さえも遺らなかった」事実をだれにも言うことなく持って逝きました。

もしかしたら、天国で叔父に会えると信じていたからなのでしょうか。

その真意はいまとなっては謎のままです。

人類と核兵器は共存できない

昔からいわれてきました。

私がアスベストの活動を始めた時にもこの言葉が頭をよぎりました。

「人類とアスベストは共存できない」と交渉などで訴えたこともあります。

管理して使用すれば大丈夫だといわれましたが、管理できなかったのです。

このHPのタイトルが「見えない恐怖」となっているのは、私の心の中に「見えない恐怖は放射能とアスベスト」だという意識があったからです。

「どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。」サーロー節子さんの講演は力強い言葉で締めくくりました。

被曝二世として、アスベスト被害者家族として、私にとって大きな勇気を与えてもらえる言葉です。


 
 
 

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