何も手につかない
- 古川和子
- 2017年11月22日
- 読了時間: 2分
…とは、このような事なのでしょうか。
昨夜はT子さんと会話していて、夕食は10時になりました。
食事していてもT子さんと彼女の父親の状態が気がかりで、胸に何かが詰まったような気がしていました。
治療・緩和ケアなどの相談を受けても、専門知識がない私には判断が難しい時も多々あります。
そのような時、聖路加国際大学の長松康子先生に相談してアドバイスを受けます。
中皮腫・アスベストセンター所長の名取雄司先生にも、ずいぶんご尽力をいただきました。
とても難しい中皮腫の患者さんがいます。
昨日は家族として大きな決断が必要でした。
厳しい状況の中で、T子さんは、医師と親族の意見よりも父親の生き方、考え方を尊重しました。
そして父親と娘、ふたりだけの家族の強い絆がいま時間を刻んでいます。
と…ここまで書いていたらT子さんから「昨日よりも元気になり、酸素マスクを外そうとしたり、手足を動かしています」とメールがきました。
「こうやって父のお世話ができるのは今しかない。頑張ります!」
このメールを読んでT子さんは吹っ切れたのだ、と思いました。
…話を戻します( ;∀;)
自分のアドバイスが不安な時はいつも先生方に指導していただきながら、やってきました。
今回は「延命」という大きな課題を背負ったアドバイスでした。
たしかに、人工的に酸素を送れば延命は出来るでしょう。
しかしその間にも体内の癌細胞は成長し続けています。
今回、T子さんの意思は「自然に」ということでした。
そして私は彼女の背中を少し支えました。
後悔が残らないように…といつも考えています。
いまこの時の判断が、世間的には「間違っている」と指摘されたとしても当事者にとって最良の判断ならば、それでいいのです。
命に、絶対的な正義はないのです。
もしかしたらいま頑張っている父娘に、奇跡が起こるかもしれません。
奇跡が起こらなくても、この貴重な時間はT子さんにとってかけがえのない心の財産です。
今回も即座にアドバイスを頂いた、長松先生に心より感謝いたします。
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