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故楠本浩さんの遺志

  • 執筆者の写真: 古川和子
    古川和子
  • 2017年11月1日
  • 読了時間: 3分

 工場でアスベスト(石綿)を吸い込み中皮腫を患ったのは会社が必要な安全対策を怠ったためと  して、北九州市戸畑区の故・楠本浩さん(2015年に68歳で死去)が三菱ケミカル(東京)に5500万円の損害賠償を求めた訴訟は31日、福岡地裁小倉支部で和解が成立した。和解金は訴訟を引き継いだ「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」に寄付され、患者支援のために使われるという。和解金額は非公表。

 訴状などによると、楠本さんは同社の前身の会社の従業員で1969年から5年間、新潟県や香川県の工場で石綿を含む板材の加工作業に従事。退職後に中皮腫と診断され14年8月に労災認定を受けた。15年9月に提訴したが、同年12月に死亡。家族の会が訴訟を承継した。

 楠本さんは和解金の使途について「石綿関連疾患に苦しむ人々に使ってほしい」との遺言を残しており、同会の平田忠男副会長は「支援団体がない場所に支部を設立したい」と話した。【宮城裕也、木村敦彦】

以下は2015年に楠本さんが提訴した時のニュース画像です。

私が楠本浩さんと初めてあったのは、3年前の10月でした。

その後「会社側の不誠実な態度が許せない。訴訟を起こしたいが自分は訴訟を最後まで闘うことはできない。自分が死んだ後も引き継いで闘ってくれるか」と相談がありました。

とんでもない提案に驚き、戸惑いました。 引き継ぐのは「患者と家族の会」ですが、その当時会長職であった私も大きな決意が必要でした。

しかし彼の人柄に触れた私は「やります。頑張りましょう!」と楠本さんの熱意に感じ入り、快く返事をしました。

楠本さんは「安易な妥協は絶対にしないでほしい。この裁判の社会的な意義をしっかりと踏まえて闘って欲しい。最高裁までも闘って欲しい」とつねに言っていました。

最高裁まで闘わずして和解になったことは、楠本さんは天国でどのように思っているだろうか?

安易な妥協だったのか?

私は自問自答しました。

楠本さんは2年前の12月29日、68歳でご逝去されました。

その後は原告当事者のいない裁判でした。

しかし楠本さんが裁判によって得た解決金は「現在または将来にわたって、石綿被害に苦しむ人々のために使ってください」と遺言をされていました。

私たちはただ一筋に、その遺志を守り継承したかったのです。

その為には今回企業側が示した和解条項に「哀悼の意を表します。配慮を欠いた態度に遺憾の意をあらわすとともに今後の被害者の方には誠実に対応します。」といった意味の文言が記されおり、金銭解決もさることながら、楠本さんの求めていた会社側の反省と誠意は感じられたと思います。

「一矢報いたい」と言っていた楠本さんの想いは遂げられたと信じています。

「古川さん!」といって爽やかな声で天国から電話がかかって来るかも…。

もう一度架けてきてほしい。

そして裁判の結果を、直接楠本さんに報告したい。

楠本さんの裁判が始まって以来、応援に駆け付けた山口支部の久保さん、中村さん、そして尼崎支部の平田副会長。

皆は「楠本さんとの『応援に行く』という約束は終えました。」と安堵の表情を浮かべていました。

    写真:和解記者会見              写真:提訴記者会見した時の楠本さん


 
 
 

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